インテリな情熱

茂木健一郎氏の「思考の補助線」を読みました。

思考の補助線 (ちくま新書)

思考の補助線 (ちくま新書)

むずかしくて理解不能なとこも多々ありましたが、
なにやら、メラメラ燃えてます。
茂木氏の情熱がはっきりと伝わってくる。

茂木氏、最近メディアに出まくってますが、
ねこかぶってますね(笑

実は、だいぶ熱い人ですね!!


専門の脳科学だけにとらわれず、
一見両立させようがないように見えるものの間に、
補助線を引き、ものの間を結び、
「新しい視点」から考えて、
あたらしい価値観を創造する。


世界を引き受けるって意気込みが溢れ出てて、
なんとも一途でまさに書生魂!!


しかも、この「新しい視点」って、
これからの時代ほんまに大切やと思います。
理系、文系って分け方も、もういらんですね。


「新しい視点」から自分の頭で考える。これこれ!!


そのことについて、ニーチェを引用してるところがあったんです、
僕も、どっぷりニーチェにはまってた時期があったんですが、
どうも、茂木氏もはまってたみたい。なんか安心した。

ニーチェってほんまトリックスターや!!


「思考の補助線」より

現代は神が死んだ時代だと言われている。
神の死に大いなる功績があった哲学者が、フリードリッヒ・ニーチェである。
ニーチェは「悦ばしき知識」の中で、神は死んだと宣言した。
ツァラトゥストラはかく語りき」でそのモチーフをさらに追求した。
なぜ、神が死んだことが、私たちの生の本質にかかわってくるのか?
この世に神が存在すると信じるならば、
自らの行動の規範は、外部から来るとすればよい。
モーゼの十戒」のような、外から与えられる倫理模範に従って生きてさえいればよい。


神が死んだ世の中では、もはや、自らの価値観や倫理規範を外部に求めることはできない。
どのような価値の源泉も、いかなる行為の起源も、すべて自らの内側からの発露によって支えざるをえなくなる。


ニーチェが提出した「超人」の概念は、つまりは、倫理や価値を、
神などをはじめとする外部要因に求めることをやめた存在を意味した。

ニーチェの直感は、人間の生き方がこれからは自らの内なる法則に従うかたちになる、
そうならざるをえないと教えたのである。

「超人」は、死んでしまった「神」の後継者であり、旧来の「人間」を引き継ぐものである。

「超人」とはずいぶんおおげさな表現だと思いがちであるが、
価値や倫理を最終的には自分で判断し、決定しなければならないという点において、

私たち現代人は本来すべて「超人」であるはずだ。

いや、そうでなければ生命の潜在性を十全にもやしているとはいえない。

養老孟司さんは、「外国人からみると、日本人はまるで生きていないように見える。」と書かれる。
われらが同胞の間には、価値観や行動規範を社会に仮託して自らは考えないという態度が蔓延しているからであろう。

ニーチェの大げさな哲学的修辞は自分たちには関係ないなどと考えていると、
生命が本来持っている、内なる無限定さにもとずく豊穣に目を開くことができない