ふたつの時間軸
ジョムソンにたどりついた。
そこでの体験が、それからの自分の人生の進む方向を決定した。
そこで待っていたのは、想像以上に過酷な自然環境でした。
雨なんてほとんど降らない、地面は乾燥してカラカラ。
毎日午後になると、きまって強風が吹き荒れる。
そこで人が生きて、せいかつしてること自体が脅威。
目的の農業NGOは、確かにそこで米の栽培に成功してたんです。
その栽培方法は、
冷たすぎる高地の山の水を、太陽の熱で暖めるためにため池をつくり、
近代的なハウスの中での栽培でした。
その技術はすごいと思った。
けど、、
そこで作られていたのは日本の米やって、
その米は現地の人は誰も食べない、、、
倉庫には、日本から援助物資として送られてきた古着が山と積まれていた。
現地の人は、自分たちで作った民俗衣装を着るんですね。
いったい、誰のためのNGOなんだよ、、、
たしかに、良い面もたくさんあったんですが、
でもなんか、ずれといいますか、
先進国の文化の押しつけを感じてしまって、、、
結局、そのNGOには参加しなかったんです。
ふたつの時間軸。
感動したのは、現地の人たちのそこでのくらしでした。
特に、農業のやりかた。
家畜のうんこや、草木や、生ゴミで堆肥をつくって土に戻していたんです。
堆肥って有機農業を知ってる人には、あたりまえのことかもしれんけど、
わたくし、そこではじめて堆肥ってもんに出会ったんです。
うっわー循環してるやん!!
家畜が草たべて、うんこして、土の栄養になって、草が生えて、草たべて、うんこして、、、
堆肥のなかの、目に見えない微生物も、土の中のミミズも、みんなその循環してる時間軸に属してたんです。
どんな小さい生き物にも役割があって、その循環に属してた。
ジョムソンでくらしてる人たちは、古代からずっとその循環してる時間軸で生きてたんですね。
科学技術がどんどん発展していって、ひたすら進歩していく時間軸しか知らんかった当時の自分は、
その循環してる時間軸の存在を知って、単純に、
うっわー、ぜんぶつながってるー!!って感動したんです(笑
それで、なんか日本の自然環境が桃源郷のように思えてきて、
ジョムソンに比べたら、なんて日本の自然環境は恵まれてるんや、って思い、
桃源郷に帰ろうってことになったんです。
それは新しい旅のはじまりやったんです、
実際に循環型農業を実践してる場所に居候さしてもらって、そこでの作業手伝って、
いまでいうWHOOF(ウーフ)みたいな旅がそれからはじまったんです。
でもそれは、
同時に、その循環する時間軸から分断されてる自分の発見でもあったんです。
- 作者: 宮沢賢治
- 出版社/メーカー: 日本図書センター
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「春と修羅」より
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまといおれを見るその農夫
ほんとうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
zypressenしずかにゆすれ
鳥はまた青ぞらをきる
まことのことばはここになく
修羅のなみだはつちにふる
循環してる自然に属している、
草地の黄金、「春」という場、
そっち側に属している、ひとのかたちの農夫、
そこから分断している自分「修羅」
zypressenは、何かの木の種類のドイツ語の学名で、
それは、インテリってか科学者である賢治自身の象徴かな、
その農夫に、
ほんとうにおれが見えるのか、
っていいながら、泣いてる賢治のすがた、
ほんまどうしたらええんやろか?