集合意識とニヒリズム

20世紀最大のトリックスター

ニーチェの「悦ばし知識」より


狂気の人間。

諸君はあの人間のことを耳にしなかったか?

白昼に提燈をつけながら、

市場にかけてきて、ひっきりなしに、

「俺は神を探している!」

「俺は神を探している!」

と叫んだ人間のことを。

市場には折しも神を信じないひとびとが大勢群がっていたので、

たちまち彼はひどい物笑いの種となった。

彼らはがやがやわめきたてて嘲笑した。

狂気の人間は彼らの中にとびこみ、

孔のあくほどひとりひとりを睨みつけた。


「神がどこにいったかって?」


と彼は叫んだ。


「おれがおまえたちに言ってやる!!

おれたちが神を殺したのだ!!

おまえたちとおれがだ!!おれたちはみんな神の殺害者なんだ!!

おれたちはみんな神の殺害者なのだ!!

神は死んだ!!

神は死んだままだ!!

それもおれたちが神を殺したのだ!!

殺害者中の殺害者であるあれたちは、どうやって自分を慰めたらいいのだ!!

どんな贖罪の式典を、どんな聖なる奏楽を、

おれたちは案出しなければならなくなるのだろうか?

こうした所業の偉大さは、おれたちの手にあまるものではないか?

それをやれるだけの資格があるとされるには、

おれたち自身が神々とならねばならいのではないか?

これよりも偉大な所業はいまだかつてなかった。

そしておれたちのあとに生まれてくるかぎりの者たちは、

この所業のおかげで、

これまであったどんな歴史よりも一段と高い歴史に踏み込むのだ!!」


ここで狂気の人間は口をつぐみ、

あらためて聴衆を見やった。

聴衆も押し黙り、怪しげに彼を眺めた。

ついに彼は手にした提燈を地面に投げつけたので、

提燈はばらばらにくだけ、灯が消えた。


「おれは早く来すぎた」


と彼は言った。


「まだおれの来る時ではなかった。この恐るべき出来事は、
なおまだ途中にぐずついてる。

それは、まだ人間どもの耳には達していないのだ。

電光と雷鳴には時がいる、

星の光も時を要する。

所業とてそれがなされた後でさえ人に見ら聞かれるまでには時を要する。

この所業は、人間どもにとって、極遠の星よりもさらに遥かに遠いものだ。

にもかかわらず、彼らはこの所業をやってしまったのだ!!」


ニーチェは、100年以上前からだいぶ絶叫してるわけなんですが、

「神が死んだ」ことによって、恐るべき出来事が起きるんです、

恐怖の、「ニヒリズム」。

生きてる意味がようわからん。

現代人は、とても大切なもんから分断されてしまったんですね。

だから、現代人は必然的に「一体感」を求めてしまう。

なにかの一部でありたい。

なにかの一部であると安心。

大企業の正社員(笑)

今んとこ、その安心をお金で買ってるわけですが、、、

ついつい、分断された孤独から、集合意識に飛びついてしまう。

「まつり」も、ある種の集合意識やと思います。

それがここにきての、

「インターネット信仰」

「エコ信仰」

どうなんやろ?


どんな集合意識とつながったときでも、

最初のうちは昂揚感があるとおもいます。

よいにしろ、わるいにしろ。

あくまでネットは便利なツールってことで、、、

ひとりひとりの創造を加速させるツールってことで、、、

ネット依存、、、要注意!!