環境問題について

田口ランディが、ブログでいいこと書いてた。

なんか、すごく共感できたので、紹介します。



しかし、ロハスってなんだよ。しゃらくせえな。
私は最近「ロハス」っていうのが、なんとなく気分が悪くて嫌いな言葉になった。
ロハス」と言うだけで、安定した年収700万円くらいの社会人が、絶対に自分の立ち位置から離れず、自分の生活はおびやかさずに、でも地球環境について考えるふりをしたいという、我欲を満たしているような気がして、ほんとうにげんなりする。

地球環境について考えるっていうのは、もう、ほとんど「人間やめます宣言」に近い覚悟のいることなので、私は安易に考えない。恐ろしい。なんとか原発使っても文明生活続けるために、やっぱり原発は安全運用するしかないから、もっと情報公開と専門家との連携が必要だよな……と思っている。この生活を続けながら環境を守るって道は、ない。
みんなの意識が変れば……なんて、自分が変れないのに言えない。

チェルノブイリに行って、放射能汚染地域で自給自足している人たちに会った。
彼らは、放射能に汚染されている土地でそれを受け入れて生きていた。
動物と同じように運命を受け入れて生きていた。
「どうしてここに住んでるの?汚染されているのに」
そう言ったら、
「だったら、犬はどうなる? 猫は? 牛は?鶏たちは? みんな置いて自分たちだけ助かれというのか?」
と言われた。
このような人に、私はなれないと思った。なれないことを痛感した。できない。どうしても。
くそそお。なれないよ。やっぱり。

原発、あんな危険なもの、消えてなくなれ!と思う。

でも、そうしたら、石油エネルギーにもっと頼ることになる。石油の値段は高騰するだろう。
オイルショックが起り、経済は大打撃、失業者がまた増える。
火力発電は地球温暖化に拍車をかけるから、水力発電か?
またダムが出来て自然破壊だ。国立公園にだってダムが出来ちゃうかもしれない。
それでも電力の安定供給は可能なのかどうか。
電気を使わなければいい。そうだ。それが一番いい方法。
でも、どうだろう。六ヶ所村で核再処理工場の試運転が始まった。
いろんな放射能に関する噂が飛び交っている。
それを聞いた人が、まずするのは、電気を消すことじゃないのだ。
青森産の魚や野菜を買わない……という、直接的な自己防衛の行動だ。
公害や原発の問題でとても深刻なのは、
あそこが危険だ……という噂による風評被害だから……。
結局、反対運動をすることによって広がる噂が風評被害をうみ、現地の人をもっと苦しめることになったりする。

ドロドロだ。きれいごとじゃない。やだなあと思う。どうしたらいいんだよ。
海辺のリゾートホテルのエステで、海藻パックなんかしている私が、ロハスの料理食べて、不味いとか言ってて、なんだかなあ……と思う。
しょせん私の環境意識なんてこんなもんです。ごめんなさい、って感じです。

冷静に、冷静に。
あれはあれ、それはそれ、これはこれ。

目に見えるエネルギーも、目に見えないエネルギーも同じエネルギーとして変換され、還元されて渦を巻いている。でも、二つは無関係じゃない。同じなんだ。核というエネルギーも、エネルギー保存の法則によって、どこかに吸収され、なにかに形を変えていく。思いも、祈りも、電磁波と同じ、質量のないエネルギー。
それらのことが解き明かされれば、解決への道はきっとある。
対立は破壊しか生まない。
ふたつのものが合わさって、リモデリングされるのがこの世界の掟。

というわけで、来週はまた原子力研究者の北村教授と勉強会……。
21世紀、原発や先端科学技術の情報公開と、専門家のあり方、市民との対話の方法の模索……。しかし、対話が一番、むずかしい。
対立するほうがみんな好きみたいだから。
意見交換の内容については、いつか公開したいと思っている。